白瀬矗~子孫へ継がれる名言…内紛を越え南極大陸へ~

皆さんは、
白瀬矗という偉人を
ご存知でしょうか?

 

日本人で初めて
南極大陸へ挑んだ人
として有名です。

 

今回は、
そんな白瀬矗
探検に命を捧げた生涯
心にのこる名言をご紹介します!


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白瀬矗の生涯

白瀬矗は今から100年以上前の
1861年7月20日生まれ
1946年9月4日没の
陸軍軍人兼探検家です。

 

住職の子だった白瀬矗は、
人一倍わんぱくで、
寺子屋で学んだ探検家の話
未開の地の話
好きだったそうです。

 

探検する為に先ず、
軍人になり、
北極を目指します

 

そのために、
過酷な千島・樺太探検
(この時に多くの死者・
行方不明者がでる。)
を経験。

 

その後も軍人としての
仕事の合間を縫って
資金集め探検
続けました。

 

しかし、1909年、
アメリカの探検家
ロバート・ピアリーが
北極点到達に成功

 

失意の中、目標を変更し
南極探検に切り替えました。

 

しかし、
その当時は他国も南極探検
積極的に行っていました。

 

負けてはいられぬと
白瀬矗も南極点へ
いち早くつく為に動きます。

 

しかし、
資金はほとんど
集まりませんでした。

 

国民は熱狂的に応援しましたが、
政府があまり乗り気では
ありませんでした。

 

ですが、
大隈重信を会長に
後援会が設立し
なんとか決行できました。

 

1910年に出港。

 

その後シドニーに入港します。

 

しかしここでも事件が起きました。

 

先ず、
オーストラリアで
スパイの嫌疑がかけられ
上陸が遅れました。

 

又、
探検隊内部でも
隊員の不満から、
白瀬矗毒殺未遂にあう
という事件がありました。

 

これ等の困難を解決
してなんとか
1912年1月16日に
南極大陸上陸

 

1月20日に南極点に向け
出発しました。

 

しかし、
天候の悪化や食糧不足もあり、
南緯80度5分・西経165度37分
の地点で白瀬矗は断念。

 

それは、
白瀬矗にとっては
苦渋の決断でした。

 

そのため、
陸軍として、この地を先占。
大和雪原と名付け日章旗を立て
「南極探検同情者芳名簿」
を埋めて帰路につきました。

 

しかし、残念なことに、
イギリス人探検家
ロアール・アムンセンによって
1911年12月14日に南極点に
人類史上初到達を果たしています。

 

また、
同じイギリス人探検家
ロバート・スコットも
1912年に南極点到達に成功

 

ですが、
ロバート・スコットは
帰路に死去
凱旋はできなかった
そうです。

 

しかし、
一歩間違えば
ロバート・スコットの様に
なっていた点を考えると
白瀬矗英断をしたと思います。

 

帰国後の白瀬矗
国中で歓迎されました。

 

南極探検の偉業、
南極各地の命名、
学術資料収集の功績
が認められたのです。

 

しかし、
帰国後発覚した
後援会の資金流用
白瀬矗は、
借金を背負わされます

 

そのため晩年は
借金返済に追われる日々
を送っていたそうです。

 

さらに、
後の第二次世界大戦の
戦後処理で南極の領有権放棄が
正式に決まりました。

同時に領有できる条件も
満たしていない土地
でもありました。

 

又、
南極の各地名の整理に基づき
大和雪原という地名は
一般的に使われなくなりました。

 

しかし、
白瀬矗功績が認められ、
南極には白瀬海岸や白瀬堆
白瀬氷河等の白瀬矗
因んだ地名が付けられています

 

※意志を貫いた偉人
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白瀬矗の名言

さて、
そんな波乱万丈な
白瀬矗の一生でしたが、
幾つか名言を残しています。

 

その中でも、
子々孫々、後世まで伝えていくべき
ある名言をご紹介します。

 

―「死は努力の終局ではあるが
責任の終局ではない」

 

これは、
先ほど紹介した白瀬矗
苦渋の決断を迫られた際に
考えたことで、
その日の日記に記された言葉です。

 

ここで、
全滅してしまえば
隊員達の努力は水の泡。

 

自分・隊員、
ひいては日本の
汚点になるだろう
と考え、

 

南極点の到達よりも
隊員の命をとる…

 

という決断に至りました。

 

時には勇気ある撤退も必要
と説く今日にもつながる
名言ではないでしょうか?

 

まとめ

如何でしたか?

 

白瀬矗の人生を懸けた
冒険は偉大なものでした。

 

確かに、
残念な結果ではありますし、
時代の波にその功績の多くは
掻き消えてしまいました。

 

しかし、
確実に白瀬矗
リーダーとしての判断
は正しいものでした。

 

勝利や成功を目の前にしても
リスクを考えて
自分の夢を折る英断…

 

リーダーに必要な技術
一つではないでしょうか?

 

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