大津美子のプロフィール 夫・子供とのくも膜下出血後の日々

―最愛の息子の記憶が消えた…!?

 

「ここに幸あり」
等で知られる歌手の
大津美子さん

 

現在、
精力的に活動されていますが、
くも膜下出血に倒れ、
話題になったことが
あったようです。

 

今回は、
私たちも他人ごとではない
くも膜下出血
大津美子さんとそのご家族の
壮絶な闘病に焦点を当てたい
と思います!



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大津美子さんとは?

大津美子さんは、
1938年1月12日生まれ、
愛知県豊橋市出身の
歌手です。

 

1955年の「千鳥のブルース」
でデビューしました。

 

その後、
1955年9月に出した
「東京アンナ」がヒットし
一躍有名になりました。

 

更に翌年の1956年、
「ここに幸あり」も
大ヒットします。

 

因みに、
この曲は映画の主題歌でもあり、
ハワイやブラジルの日系人伝いで
海外でも知られているそうです!

 

=>ここに幸あり 大津美子

 

どっしりした歌声と
深いビブラートは必聴ですね!

 

1969年には
実業家の中條政人さん
と結婚されました。

 

そして、
病弱な体に無理をきかせて
出産に踏み切り
男の子を授かったそうです!

 

しかし1980年、
くも膜下出血に倒れ
急遽手術されたそうです。

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くも膜下出血とは?

さてここで、
くも膜下出血について
少しだけ解説いたしましょう。

 

くも膜下出血
(正確には蜘蛛膜下出血と書く)
はその名の通り
蜘蛛の巣状の脳を覆う
蜘蛛膜から出血する病です。

 

その多くは
脳動脈瘤によって起こり、
喫煙や高血圧、
アルコールの多飲歴が
主な原因と言われています。

 

又、
隔世遺伝するため、
祖父母より前の代に
発症歴があれば
本人が発症する
リスクも高まるそうです。

 

激しい頭痛の症状が
現れることが多く、
多くの患者が
「突然、激しく殴られた様な
痛みが走った」
というそうです。

 

しかしこれは、
激しい出血が伴った場合で、
少規模の出血では、
普通の頭痛と勘違いする
レベルの痛みで、
放ってしまい悪化するケース
もあるそうです。

 

症状の重さにもよりますが、
発症後全体の3分の1が即死
後、4週間以内に
その残りの半数
亡くなるそうです。

 

その残りも、
10年以内に60 – 80%
亡くなってしまうそうです。

 

一命は取り留めても
後遺症が残るケースが多く
完治する人は全体の約20%
だそうです。

 

大津美子さんのその後…

大津美子さん
例外ではありませんでした。

 

一命は取り留めたものの、
右半身・言語・記憶に
障害が出てしまいました…

 

何よりご家族がショック
だったのは、
息子さんの記憶
消えている事でした…

 

思い出はおろか、
名前まで記憶から
消え去っていたのです。

 

術後のリハビリで
マヒや言語障害は回復
しつつあったものの
依然として息子さんの事は
全く思い出せなかったそうです。

 

息子さんは、
記憶を呼び覚ますために
大津美子さんつきっきり
生活したそうです。

 

そんな生活が
1か月以上続いたそうです。

 

そんなある日、
息子さんが大津美子さん
公園に散歩に連れて行ったとき、
語った言葉が
記憶が戻るカギになった
と言います。

 

僕はママが生きてるだけで嬉しいよ

 

この日から徐々に記憶が戻り、
もう一度、息子さんの母親になれた
そうです。

 

お医者さんも
奇跡だ
と驚いていたそうですね!

 

しかし、
そんな歌手人生も、
術後の戦いの日々も
支えてきた旦那さんは、
一昨年にこの世を去ったそうです。

 

名曲「ここに幸あり」の発売から
今年でちょうど60年ですが、
大津美子さんもご家族も
かなりの苦労があったようですね。

 

しかし、
今は元気なお姿で
歌手活動もされています。

 

これからもお元気で
活躍してほしいですね!

 

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