ナイツが師匠:内海桂子と徹子の部屋に!100年前のネタ披露

―これは永久保存版!

 

2月5日12時からオンエア
徹子の部屋

 

40周年ウィークという事で、
沢山の大物のトークが
きけましたね!

 

金曜日の今回は、
内海桂子さんナイツの2人が
ゲストだそうです!

 

そこで、
100年前の漫才をする
という事です!

 

これは気になりますね!

ということで、
昔の漫才や、
ナイツ内海桂子さん逸話
等を調べてきました!

 

こんな方にオススメ!
昔の漫才が気になるという方

師匠と弟子の逸話が気になるという方



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100年前の漫才?

現在93歳の内海桂子さん

 

現役最年長の芸人で、
生き字引の様な存在です。

 

ですが非常にお若く、
今も舞台で活躍されています。

 

しかも、
ある番組で調べた所、
骨密度が30代のレベル
という丈夫さ!

 

本当にお元気です。

 

そんな、
内海桂子さんナイツ
100年前の漫才をするとのこと。

 

では、昔の漫才とは
どのようなものだったのでしょうか?

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100年前に漫才はない

この時代はいわゆる、
漫才の前身の時代だそうで、
今の「漫才」は無いそうです

 

そしてその前身は、
「漫才」ではなく、
萬歳」と書いたそうです。

 

起源は奈良時代の
宮中行事の舞踏ではないか
ともいわれています。

 

その後も、
時代時代の権力者の祝い事の
舞踏や催し物として、
江戸時代まで続いたそうです。

 

又、
室町以後は一般家庭にも
訪れたりしたそうです。

 

この変遷の中で、
萬歳は様々な系譜に
分かれたそうです。

 

その中でも、
尾張萬歳という系統があります。

 

この尾張萬歳が
今の漫才の原型
言われています。

尾張萬才は
江戸時代から徐々に
娯楽性を持ち始めました

今でいう
なぞかけ」や「お笑い
この時代の尾張萬歳には
あったそうです。

 

そうして、
明治・大正には萬歳が
浸透していき、
浅草などでは、
一座が興行をしました。

 

第二次世界大戦後は、
その萬歳というスタイルは
廃れていき、
今の「漫才」
になっていったそうです。

 

そう考えると、
内海桂子さんの三味線と漫談は
萬歳の姿をのこしているのでは?

 

…とも思いますね!

あくまで推測ですが 笑

 

師匠と弟子の逸話

ナイツは漫才師として
内海桂子さんに師事しています。

 

晩年の弟子とはいえ、
愛弟子の一人。

 

ナイツのお二人や、
内海桂子さんのお話などから、
お互いに良い師弟関係なのが
うかがえますよね。

 

そんなナイツは、
テレビ番組の
師匠に恩返しする企画で
内海桂子さんを原宿に
連れ出したそうです。

 

以下はその時の感動の逸話。

「桂子師匠、原宿に行ったことないだろうなって思って、原宿に連れて行ったんですけど、
したらちょうど土曜日かなんかで地方から来た若い女の子がバーって集まってきちゃって、カメラ回っているから」
「で、桂子師匠にカワイイ!カワイイ!つて、すごい寄ってきちゃったんですよ」

「したら桂子師匠が、泣いちゃって」「泣き出しちゃったんですよ」
「泣き出しちゃって。嬉しくて」

藤本「嬉しくて?」

土屋「嬉しくて。原宿っていうのはね、昔私が若い頃はね、米兵しかいなかった」

藤本「え?そっち?」

土屋「米兵ばっかだったのに。こんなにね(今は)日本人の若い女の子がね、元気なんだっていうので、
すごい嬉しくなっちゃって、泣き出しちゃった。竹下通りの真ん中で」
「この子たちがね、結婚してね、子供を産んだらね、日本も安泰だっつって
すごい喜んで、皆!皆!結婚すんのよ!!って説教しだしたんですよ」

「で最後、桂子師匠感極まって竹下通りの真ん中で、日本バンザイ!!っつったんですよ。」

(引用元:〜ビコーズアイラブユー〜:ナイツ土屋が語る内海桂子師匠エピソード
URL http://blog.livedoor.jp/kuzu8/archives/51150046.html)

 

昔の事を
鮮明に記憶している
内海桂子さん

 

戦後の原宿を思い返して
涙を流したそうですね。

 

戦後の原宿は、
東京大空襲の後で
焼け野原でした。

 

その上、
終戦直後は、
アメリカ空軍の兵舎が近く、
アメリカ人のための町
だった時期があったそうです。

 

その当時を思い、
感動したのでしょう。

 

心温まるお話ですね!

 

※内海桂子さんの人生秘話
の記事もあります!

…先ほどのラジオを聴くとより楽しめます!

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