八田與一~遺した功績と子孫…台湾の教科書にも載る偉人~

皆さんは、
八田與一という方を
ご存知でしょうか?

 

実はこの方
すごい方なのですが…

 

不思議と日本の教科書では
高校の教科書でも
紹介されないのです 笑

 

しかし、
台湾の中学校の教科書
には載っているという
知られざる偉人なのです。

 

今回は、
そんな八田與一について
調べてみました!



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八田與一とは?

八田與一(はった よいち)
1886年から1942年に活躍した
水利技術者です。

 

日本統治時代の台湾に
世界屈指のインフラ
を移植した人の一人です。

 

1910年に東京帝国大学工学部土木科
を卒業。

 

その後、
台湾総督府内務局土木課
に勤務しました。

 

そこでは先ず、
台湾での伝染病罹患率の減少のため
上下水道の整備を行いました。

 

又、
1918年には発電・灌漑事業のもと
嘉南平野開発のため
ダム建設を計画しました。

 

しかし、
この計画は、
官田渓埤圳組合という組合のもと
進められることになりました。

 

そこで、八田與一は、
自ら進んで国家公務員である
台湾総統府を辞め
その組合の技師になりました。

 

1920年から10年間の工事の末
烏山頭ダムが完成。
この間、八田與一はこの工事の
指揮を執っていました。

 

この烏山頭ダム
美しい景観でも知られており、
台湾の観光地の一つ
でもあるそうです。

 

因みに、
現在ではこの烏山頭ダム
ではなく曽文渓ダムという
ダムが主に活躍しているそうです。

 

しかし、
その曽文渓ダムの計画は
八田與一のものを
基にしたそうです。


不遇の最期

そんな
八田與一の最期は
悲惨なものでした。

 

1942年5月8日、太平洋戦争の最中、
フィリピンの綿作灌漑調査に向かう
日本陸軍の輸送船大洋丸に乗船。

 

その大洋丸がアメリカ海軍の
潜水艦によって撃沈されました。

 

乗船していた八田與一
これによって亡くなりました

 

その遺体は、
約1か月後に台湾の漁師の網に
引っ掛かって発見されました。

 

しかし、その功績は
台湾の人たちによって認められ
この5月8日を八田與一の命日とし、
慰霊祭を開催している
とのことです。

 

連鎖する悲劇

八田與一には
奥さんとその間に生まれた
子孫である
8人の子供たちがいます。

 

その子供と奥さんにも
悲劇が起きます。

 

長男は戦争によって
戦地へ赴いていました。

 

1945年8月31日、
長男が無事戦地から戻りました。

 

奥さんの外代樹(とよき)夫人を
はじめ家族は安堵したと言います。

 

しかし、
翌日9月1日、外代樹夫人は
遺書を残し突然失踪

八田與一が作った
烏山頭ダムの放水口で
投身自殺したそうです。

 

のこされた長男は晩年、
「子を残して突然死んだ母を
私は長い間、恨んでいた」
と語りました。

 

複雑な心境が痛いほど感じられます。

 

この謎のタイミングでの死は、
夫を想う妻の美談とも
将来への絶望によるものとも
言われております。

 

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もう一つの逸話

そんな台湾で語り継がれる偉人
八田與一は、
台湾の人たちによって
烏山頭ダム
銅像として佇んでいます

 

その銅像は
八田與一の周りの人たちの話
を基に造られ、
その人柄を尊重し、
威圧感の無い様な風体
にしていると言います。

 

そのため、
台座が低く
腰を下ろし考えている姿という
あまり見ないポーズの銅像です。

 

そんな、
台湾の人に愛される銅像
第二次世界大戦後の
中国の蹂躙による台湾騒乱の中
金属回収の危機にさらされます。

 

しかし、
地元の方々の尽力よって
ほとぼりが冷めるまで隠され
無事に今に至っているそうです。

 

八田與一が愛される理由

それは、
八田與一為人にあったと言います。

 

元来、
ダム事業は過酷な作業です。

 

そのため、
労働環境は最悪

 

死者も数多く出て、
作業員の士気の維持
問題でした。

 

そんな中、
八田與一労働環境の改善に努め
台湾人も日本人も
分け隔てなく接したそうです。

 

また、
自ら危険な作業現場に入る行為
現場作業員の士気向上に
繋がりました。

 

黒四ダム建設の立役者
太田垣士郎のようですね!

 

まとめ

親日国として知られる台湾

 

その教科書にも載る日本の偉人
八田與一偉大な技術者でした。

 

その人生はインフラ整備のために
捧げられました。

 

しかし、
彼の人生は悲劇で幕を閉じます…。

 

また、それにあてられたのか、
夫人も悲しい最期を迎えます。

 

お子さんたちは
複雑な思いだったでしょう。

 

ですが、
その功績であるダム
八田與一自身は
台湾の人たちに
愛されているようです!

 

その生き様
台湾の心温まるエピソードは、
この日本でも
伝えられていくべきでしょう!

 

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コメント

  1. Rin より:

    いいね。感動します。

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